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エストニア・タリン 1。
エストニア・タリンの歴史 (2007年6月24日早朝入港 雨のち曇り)
紀元前2500年頃から、それまでの先住民とともにフィノ・ウゴル族がエストニア人として、バルト海沿岸に位置する現在の土地に住み続けています。 東洋と西洋の要所であったことから、長い間にわたってさまざまな王様や征服者が欲しがる場所となりました。 彼らの生活は自然信仰を重んじた平和な暮らしでした。 12世紀、エストニアを含むバルト地域は

チュートン騎士団の強い権勢に支配されます。 その後、ドイツとデンマークの十字軍によってキリスト教化が進められます。 14世紀にはエストニア各地で教会や要塞、街の建設が行なわれ、首都タリン(当時のレヴァル)はハンザ都市のひとつとして繁栄しました。 貿易はそこに住み着いたドイツ人商人によって支配されました。 その後、デンマーク、スウェーデン、ポーランド、ロシアによる領土争いが繰り広げられたリヴォニア戦争にスウェーデンが勝利し、18世紀初頭までエストニア

を支配しました。 大北方戦争終結後のロシア占領下においても、ドイツ貴族たちはその領地支配を継続し、タリンはハンザ都市のひとつとして維持されました。 1918年2月24日、エストニアはその独立を宣言しました。 これ日が現在の独立記念日となっています。 その後の2年間に渡り、エストニア自由戦争と呼ばれる戦いをソビエトとの間で自由獲得のために繰り広げました。 この間に日本国はエストニア共和国を事実上承認しました。 1939年の独ソ不可侵条約の秘密

議定書により、ソビエトに組み込まれることとなります。 国外逃亡やシベリアへの抑留などにより、エストニア人、バルト・ドイツ人の多くを失うこととなりました。 当時は禁止されていたエストニア国歌を歌うことによる「歌の革命」を契機に、1991年8月20日、エストニアはソビエトからの独立回復を宣言しました。

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われわれの到着後、直ぐに入港してきた。Regatta号 1。

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Regatta号 2。

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タリンの港は一本の停泊ラインがあるだけで廻りには何もありません。

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こんな感じで停泊しています。

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カドリオルグ公園。 別名、白鳥の泉。 スウェ-デンとの北方戦争に勝利しロシアのピョートル大帝が作らせた。

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1980年代に革命の舞台となった「歌の原」 人口の三分の一にあたる30万人の人が集まり歌って独立の望みを高めた場所。

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グスタフ・エルネザック像。 独立に尽力した数学の教師。

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足元に書かれたグスタフ・エルネザックのサイン。

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グスタフ・エルネザック像と広場。

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銅像の説明文。

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「歌の原」の入り口に設定された仮説店舗 1。

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「歌の原」の入り口に設定された仮説店舗 2。

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1980年に開催された第22回モスクワ五輪のヨット競技場になった付近。

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