作詞、作曲もされ、国民の士気を鼓舞する戦争歌としてことあるごとに歌われた。 その冒頭は、「行くぞ行こうぞ がんとやるぞ 大和魂だてじゃない……」 といった具合なのだが、戦況が悪化していくにつれ、これらの歌はヒステリックな歌い方で国民の士気を鼓舞したのである。 安倍首相の用いている 「1億総活躍社会」 は、もとよりこの時代のファナティックな意味をこめているわけではないだろう。 しかし過去のこの国の歪(ゆが)みが凝縮している 「1億」 などといった表現は慎むのが歴史的礼節であるならば、いささか無

神経すぎるといった言い方をしてもいい。 なにしろこの語は、状況が悪化していくと、「一億総玉砕」 とか 「一億総特攻」 といった語にもつながっていく。 いうまでもなくこのふたつの戦術を、第二次世界大戦下で国家の軍事システムとして採用した国はない。 日本だけである。 ふつう全滅というのはある部隊の3分の1を超える兵士の戦死の状態を指す。 ところが日本は最後の1人までが死ぬことを全滅といい、全滅では大本営参謀たちの責任となるとばかりに 「玉砕」 という語に言い換えた。 43年5月のアッツ島の玉

砕からである。 戦争末期には 「一億総玉砕」 の名のもとに国民全員に死が強要されつつあった。 「一億総特攻」 もまたそうであった。 十死零生の作戦が、まずは学徒兵や少年飛行兵に、国家の非常時という名のもとに命じられている。 「1億」という語には、恐るべき意味が数多くこめられている。 戦後の歴代首相の演説や議会答弁で、この表現で自らの政策を語った例はほとんどないのではないか。 国民の反発を買うと知っていたのであろう。 戦後社会では、一評論家がテレビ時代を皮肉り、1億視聴者が

思考をもたなくなるのではと案じた件が思いだされてくるだけだ。 10月7日に発表された第3次安倍改造内閣では1億総活躍担当相が生まれた。 さて 「1億総活躍社会」 とは、私たちに何にむけて、どのような活躍を要求するのだろうか。 不気味な表現に慣れるわけにはいかないと覚悟すべきだろう。  私見、安倍晋三が 「1億総・・・」 に込められた悲惨な過去を理解して 「1億総活躍社会」 を使ったとしたら、単なるアホとしか言いようがない。 早く引退することを希望する。

ckb18d.jpg アルトゥン・ハ遺跡。

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